ガンコ山ファンクラブ
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ガンコ山マスターへの道
〜山菜樹木きのこマスター
(第1回)
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【もっとも人気がなく、つまらないガンコ山マスターコース】
 
 人気がないというのは、読者にとっても関心がないテーマであり、関心がないというのは、つまらないコースだからであり、事実インストラクターを務めるガンコ山もつまらない。

 『ガンコ山マスター』という講座は「知らなくても生きていける。知っていれば、人生もっと楽しくなります。いつかどこかでお役に立ちますよ」というのを売りものにしている体験講座だ。

 事実、あなたが子供と共に弾けるほどに面白い体験をした「ガンコ山ツリーハウスヴィレッジ」は、『ガンコ山マスター』の知恵と技術の集大成である。
 そして、その舞台となっているのは、樹木のある森林である。

 本当は【山菜樹木マスター】でなく、【樹木山林森林マスター】を養成するのが、「林野庁からお金を頂いている」ガンコ山ヴィレッジの本分であるはずだ。 「楽しみながら森林再生」し、「放置された森林資源の有効活用」が、ガンコ山ヴィレッジの「皆様の税金を頂いている根拠」だからである。

 「五感に触れる自然エネルギー教育」に力を入れるガンコ山ヴィレッジでは、「地球温暖化」に関連し、「森林と二酸化炭素」の問題にも触れるべきだ。
 自慢げに言うが、地球温暖化対策上「森林」と「自然エネルギー」という両方のステージにしっかり根付いて、環境教育をできる舞台設定は、日本では「ガンコ山ヴイレッジ」しかない。

 それにも関わらず、東京の裏山の面白秘密基地「ガンコ山」で「森林」とか「エネルギー」とかいうテーマを語るには、ちと、他の面白体験マスターに比べ、あまりに地味だ。

 体験ということで言えば、『あなたの子供が「裏山」を駆け回っている』ということの方がイメージは湧くが、それでは 抽象的すぎて、宿泊料以外にガンコ山マスターでお金を頂きづらい。
 それで、「森林」マスターを養成する代わりに「山菜」を入れているのは、「森林」より「山菜」を食ってもらった方が、1000円貰いやすいだろうという、「木登り五段」のガンコ山の類人猿的高度な判断によるものだ。

 ガンコ山マスターは、2マスターまで、1000円だから実質500円だ。
 ガンコ山ヴィレッジには、ものすごく豊富に色々な山菜がある。 それも、よそを見れば「こんなもの天ぷらにして金取るのか…」と思うくらいガンコ山ヴィレッジではワラビ、タラノメ ぜんまい、山ウド、タケノコ、、、、山アスパラとメジャーなもののオンパレードである。

 が、しかし、それでも人気がない。
 ガンコ山ヴィレッジを訪れる子ども連れのファミリーの年齢層の方々には、山菜を喜んで喰うという食文化がなかったのである。
 年齢的なことだけではなく、ガンコ山ヴイレッジでの滞在スタイルと山菜は、イメージが結びつかないようだ。 「いい旅夢気分」でしおらしくお浸しに天ぷらというより、どうもガンコ山ヴィレッジでは、スカッとビールにBBQの方が合うらしい。
 それに、シイタケができているホタギを自慢げに見せたら、「気持ち悪い」といってシイタケがしばらく食えなくなった子どもまで現われたので、こちらも、ますますやる気を失くした。
 山菜に異常な執念を燃やして訪ねてくる人たちは、他所から来る「山菜泥棒」だけである。

 それでも、ガンコ山ヴイレッジの舞台は山の中の森林だし、ツリーハウスは樹木を利用して造られているわけなので、「山菜樹木(森林)」は、ガンコ山的生活の鏡として、きちんと取り上げなければならないテーマだと思っている。
 前に焚き火のところで「山」や「森林」はその時どきの「文化社会の鏡」だといった。 日本の「里山」で言えば、文化社会の最小単位は「一家」であり、「一家に1台のお山」が理想の家財道具であっただろう。

 畑に必要な堆肥として落ち葉を集める。薪を燃料として使う。薪炭を売る。木を木材として売る。 一家の生活スタイルに応じて山を利用し管理してきた。生活の自立の足しになるものであった。

 茅葺屋根の時代は、茅(ススキ)は、みんなが必要なものだから、入会地(共有地)として集落で管理した。 ガンコ山ツリーハウスヴィレッジの斜面がなぜ開けているかと言えば、この入会地の茅場であったからである。 なぜか、今はその一画に、茅葺の縄文ハウスがある。
 とにかく、一家ができるだけ自立して、できないところを集落が管理するというのが、一つの日本の山の管理単位であった。

 余談であるがもっと細かく言えば、集落の前に最寄という単位がある。 これが一家の次の単位で、最寄より、少し薄い利害の縁を上、下などと表現する。
 最寄は水などの、無くてはならないインフラに共通の利害をもつのが一般的だ。 そのため遠くの親戚より近くの他人の方が、縁が濃くなることがあったらしい。
 実際、最寄、上、下、それ以外の集落内の人の順で葬式の手伝い度も決められたようだ。

 ガンコ山ヴィレッジの近辺ではそうだと思うが、これが日本全国、共通の山村組織であるかどうかはガンコ山にはわからない。
 山村組織のことはともかく、山や森林は一家や集落の生活社会を反映し造られたものであった。 人は多かれ少なかれ、人生に裏山を背負って生きていたのだ。 そういう人たちが集まり、日本の生活文化を形つくっていた。
 薪炭エネルギーに頼らなくなり、外国から流入する安いもの、文化に価値を見出し、我々は裏山に価値を見出すことがなくなった。 裏山の手入れを誰もがしなくなった。

 ガンコ山は「ガンコ山」というヘンテコな名前をつけたこの山を活用しているし、このヘンテコリンな名前の山はガンコ山式生活文化の鏡である。
 市場での木材資源産出林としては劣等であり価値もなく、美しくないが、それでもガンコ山ヴィレッジで使う木材や、ガンコ山ヴィレッジでの主力燃料の薪を恵んでくれる。
 何よりも弾けるほど面白い、自然体験リクリエーションの場を提供している。

 国は次ように決めている。 地球温暖化という問題があり、その地球温暖化を防止するために国は森林を活用した「森林吸収10ヵ年計画」を策定した。 そのための整備策の一つとしては「保健、教育文化、レクリエーションの場の提供」が森林整備にあたるとしている。
 この面からいえば、ガンコ山は、この計画を策定した林野庁にかなりの模範解答を出したことになる。 これも世の中の流れを映し出す鏡である。

 しかしながら、一般的には山、山林、森林、樹木、こういうものは、個人から遠い存在となった。 個人から遠くなった森林は、あなたの生活を反映する鏡としては何も映し出してはいないように見える。

 しかし,それは違う。

 見えないのは、鏡を見ようとしていないだけのことだ。

 我々が森林に無関心になるのに反比例して、日本を、いや世界を、地球を一つの大きな自治会とすれば、その自治会を維持する為に森林の果たすべき役割は、地球温暖化防止、国土保全、資源確保と種類も増え、ますます重要になってきている。
 問題なのは果たして森林がその役割を果たせるかということの現状だ。

 「知らなくても生きていけるが、知っていればもっと人生楽しい」ガンコ山マスターの中で、「知ってどうする?森林マスター」は、もっとも面白くなく、あなたに囁く。

 『あなたは、捨てようと思っても、この地球にいる限り、あなたが背負っている宿命的裏山人生から逃れることはできないのだ。 人類は「裏山」なくして生存することはできないのだ。』

(つづく)

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